犬童球渓研究ガイド


当サイトについて
当ホームページは、科研費による研究「犬童球渓の音楽アーカイブズの構築」(基盤C、代表:森みゆき)と「明治・大正期における「作歌」の音楽教育における歴史的意義」(基盤C、代表:国府華子)による研究成果を発表する目的で開設しました。
これらの研究課題では、犬童球渓(本名は犬童信蔵、1879-1943、以下「球渓」)に関する研究を進めています。熊本県人吉市に生まれた球渓は《旅愁》の作詞者としてその名を知られていますが、生涯に約600曲の楽曲を生み出しました。そのほとんどが詩作です。球渓は、明治34年熊本師範学校を卒業し、熊本県宇土市の小学校に勤務しますが、翌35年に東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に入学します。その後、兵庫県、新潟県、熊本県にて主に高等女学校の音楽教員として活躍しました。当時、東京音楽学校を卒業し各地の師範学校や高等女学校に勤務した音楽教員らは、学校での教育活動に加え、全国の学校の授業で歌われる楽曲を作っていました。球渓もそのような役割を担った中心人物の一人であり、日本の音楽教育の礎を作った一人と位置付けることができます。
熊本県人吉市の球渓の生家を改築した「犬童球渓記念館」には、自筆譜をはじめ多くの史料が残されています。私達、科研費による研究チームは、犬童球渓記念館(梅澤敬一館長)のご協力をいただき、記念館所蔵品のアーカイブズ、作品目録の作成等、協同で研究を進めています。
当ページを訪問してくださった方々と新たな情報交換ができましたら幸いです。



研究チーム
当サイトを運営する科研費による研究チームは、音楽学、音楽教育学、社会科教育、日中比較文学の分野の研究者からなります。音楽家、音楽教育家であり、詩作を中心に多くの楽曲を生み出した犬童球渓を音楽学・音楽教育学からの研究だけでなく、現在の学校教育との関わりからの研究、球渓の《旅愁》を踏まえて李叔同により中国語の歌詞が付され発表され、現在でも中国で愛唱されている《送別》に関連する研究など、様々な視点から球渓研究を進めています。

◎メンバー紹介
森みゆき:尚絅大学こども教育学部、准教授、音楽学・音楽教育学
国府華子:愛知教育大学創造科学系 音楽教育講座、音楽教育学
山﨑浩隆:熊本大学大学院教育学研究科、教授、音楽教育
西槇偉:熊本大学大学院人文社会科学研究部、教授、日中比較文学・比較文化
藤瀬泰司:熊本大学大学院教育学研究科、教授、教科教育学(社会科)
佐藤慶治:鹿児島国際大学社会福祉学部、准教授、音楽学・音楽教育学
犬童昭久:九州ルーテル学院大学、教授、美術教育・美術史



犬童球渓研究
研究チームは、「犬童球渓」「旅愁」をキーワードに研究を進めています。球渓のひ孫に当たる国府華子(愛知教育大学)は、(ひ孫の責任として)犬童球渓記念館の所蔵品リストと自筆譜の解読を少しずつ進めていました。一方で、現在の熊本日日新聞の前身である九州日日新聞の明治時代の西洋音楽記事一覧作成を進めていた森みゆき(尚絅大学)は、当時の新聞に学校行事や授業の記事が多いこと、さらに球渓の名前も散見されることから、国府と協力して球渓研究をすることになり、科研費での研究がスタートしました。また、明治期の翻訳唱歌という視点から佐藤慶治(鹿児島国際大学)が研究に参画しています。
 人吉市では70年以上に渡って毎年「犬童球渓音楽祭」が開催され、地元の小中学校の児童・生徒達も出演しています。人吉城址をはじめ、市内の各地に歌碑があり、地域に今も生きる球渓を感じることができます。また熊本県では小学校社会科の副読本に球渓が取り上げられています。熊本県、特に人吉・球磨地方において、球渓がこれまでどのように学校教育に取り上げられてきたか、また、今後の教育で生かす可能性があるかについて研究を進めています。特に、音楽科と社会科について、山崎浩隆(熊本大学)と藤瀬泰司(熊本大学)が研究対象としています。
 さらに、球渓の代表作《旅愁》は、中国人教育家李叔同(1880-1942)により中国語の歌詞が付けられ《送別》というタイトルで発表されました。2022年の北京冬季オリンピックの閉会式でも使われましたが、中国人では知らない人はいない程の愛唱歌となっています。中国との音楽、文化交流という視点から西槇偉(熊本大学)が研究を進めています。
 また球渓の無二の親友であった日本画家の高木古泉(1878-1963)の研究を進めているのが、犬童昭久(九州ルーテル学院大学、注:球渓の子孫ではありません)です。球渓と同時期に東京美術学校で学んでいた高木が、李と球渓を結び付けた可能性はないか等という視点での研究を進めています。
 なお球渓に関しては、すでに鶴上寛治氏(球渓の孫、記念館名誉館長)が長年にわたって調査研究を続けています。また記念館所蔵品などに関しては梅澤敬一氏(球渓の孫、記念館館長)が別個に調査を行っておりました。研究チームはその調査を踏まえて両者と共同で研究を進めています。



記念館資料
犬童球渓記念館(熊本県人吉市)は、球渓が生まれ育ち人生の多くの時間を過ごした建物を、2007年に記念館として改築したものです。 同館には、自筆譜、出版譜、日記、写真、賞状、辞令、詩の草稿等があります。また、ピアノ、指揮棒、時計等も展示されています。球渓が小学生時代に書いた唱歌の楽譜(数字譜)や作文帳等もあります。所蔵品については、こちらで見ることができます。また、作詞(作歌)・作曲作品についてはこちらで見ることができ、特に作歌作品については検索も可能です。未整理のものについては、今後少しずつ公開する予定です。


→(A)犬童球渓記念館
◎犬童球渓記念館のページにリンクします。

→(B)記念館資料検索
◎記念館所蔵品や作詞作品の検索が可能です。

→(C)これまでの論文等
メンバーのこれまでの論文他のリンクです

論文
犬童球渓の作歌研究 “Erk’s Deutscher Liederschatz” に書き込まれた創作過程の検証 | CiNii Research(2024)
外国の曲に日本語の歌詞を付けることについては、これまでも様々な研究が行われてきており、訳詩であるのか、原詩を参考にしているのか、全く異なる視点で作られたのか、ということが論じられてきています。今回、研究グループの調査により、球渓の生家から、“Erk’s Deutscher Liederschatz”の楽譜が発見され、球渓が作歌した作品の原曲が収められていることが判明しました。この楽譜には日本語の歌詞の書き込みが見られ、そのうち16曲は実際に出版されていることも分かりました。この16曲について、原譜と書き込まれた内容、出版された楽譜との比較を行っています。

犬童球渓の作品目録 ①ピース譜 | CiNii Research(2023)
 球渓の作品のうち、校歌をのぞく多くの作品は、雑誌、教科書、ピース譜等に掲載されました。本目録では、ピース譜に掲載された139曲の作品についての目録を纏めました。各楽曲について、作詞者、作曲者、冒頭の歌詞、拍子、調性、掲載されたピース譜についての書誌情報(巻・号、出版社、出版年他)等を掲載しています。

犬童球渓の作歌作品についての一考察―掲載冊子による楽譜の相違点に着目して― | CiNii Research(2023)
球渓の作歌作品は、様々な雑誌や教科書などに取り上げられていますが、その中で、形を変えていっているものがあります。本論では、雑誌『音楽新報』と『中等教育唱歌集』(1907)そして、球渓が自身の作歌作品をまとめた『四季』(1936)それぞれに掲載された、《夏はゆく》《旅愁》《故郷の廃家》の3曲を取り上げ、どのような変更点が見られるのかを整理し、その変更の背景について検討をしています。

明治時代の地方都市における師範学校や高等女学校の音楽教員の教育活動 : 明治30~40年代の熊本県の検証を基にした考察 | CiNii Research(2021)
 九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)に掲載された西洋音楽関連記事を調査したものが、下記の「九州日日新聞の西洋音楽関連記事・広告調査」欄に掲載した5件の調査一覧です。同新聞が発刊された明治21年から45年までの25年間を調査しました。この時期の新聞には、学校の行事や授業に関する記事が定期的に掲載されており、師範学校や高等女学校に勤務した音楽教員の活動が散見されます。それらの記事を抽出し分析した結果、彼らが勤務先の授業や行事だけでなく、歌曲の作詞作曲、演奏活動、県下の小学校教員を対象とした音楽講習会の講師、研究会の設立等を行い、地域の教育や文化振興を担っていた活動の詳細を明らかにしました。球渓に関する記事も多数参照しています。

参考資料:九州日日新聞の西洋音楽関連記事・広告調査
明治期の熊本の新聞における西洋音楽関連記事調査① | CiNii Research(2015)
明治期の熊本の新聞における西洋音楽関連記事調査② | CiNii Research(2016)
明治期の熊本の新聞における西洋音楽関連記事調査③ | CiNii Research(2017)
明治期の熊本の新聞における西洋音楽関連記事調査④ | CiNii Research(2018)
明治期の熊本の新聞における西洋音楽関連記事調査⑤ | CiNii Research(2019)

学習評価を活用して思考力・判断力・表現力の育成を図る小学校社会科授業の開発 : 単元「犬童球渓と『旅愁』」の開発を手がかりに | CiNii Research(2015)
 社会科の目的は,子どもが地理や歴史「を」学ぶことにあるのではなく,子どもが地理や歴史「で」社会をわかる力や社会をつくる力を磨くことです。このような教科の本質からみた場合,犬童球渓は最適な社会科教材です。そこで,本論文では,子どもが犬童球渓「を」学ぶ社会科授業ではなく。子どもが犬童球渓「で」社会をわかる力を磨く社会科授業のあり方を具体的に示しました。

中国新文化運動の源流 | CiNii Research(中国新文化運動の源流--李叔同の『音楽小雑誌』と明治日本、1996)
 李叔同(1880~1942)は近代中国において西洋美術、音楽、演劇を導入する草分けとして知られています。彼は1905年から1911年まで日本に留学し、その西洋文化の受容には日本との関わりが注目されます。本稿では、1906年春に、李叔同が東京で創刊した『音楽小雑誌』に焦点をあて、当時日本の音楽教育、西洋音楽受容との関連を跡付けました。同誌は近代中国における初の音楽雑誌として重要な意義を持っています。

・歌でつながるこころと世界――人吉で李叔同の「送別」を歌う
(『TONGXUE』第67号、同学社、2024)
 2022年3月、北京冬季オリンピック閉会式でも流れた「送別」は李叔同の作詞によって、中国では人口に膾炙する唱歌となっています。この唱歌の原曲はアメリカの作曲家オードウェイによるものですが、李叔同は日本留学中に犬童球渓の「旅愁」に出合い、独自の歌詞を付け、「送別」として中国に広めました。本文では、そのあたりの事情を紹介し、2023年12月人吉で開催されたレクチャーコンサートにも触れ、歌を通しての文化交流がさらに深まることへの期待を述べています。
 掲載誌は中国語教育界で読まれるもので、「送別」を中国語教育の現場で取り上げるのもよいのではないかと考えて執筆しました。

科研費
犬童球渓の音楽アーカイブズの構築 | CiNii Research(2021‐2025)
明治・大正期における「作歌」の音楽教育における歴史的意義 | CiNii Research(2023‐2026)

これまでのメディア取材等
熊本ゆかりのメロディー、なぜ北京五輪閉会式に? 人吉市出身・犬童球渓の「旅愁」|熊本日日新聞社 (kumanichi.com)(2022年3月17日)
 2022年冬季北京オリンピックの閉会式で《旅愁》を踏まえ中国語の歌詞が付けられ中国で発表された《送別》が演奏されました。《旅愁》から《送別》へ、由来等について研究チームが取材を受けました。



→(D)関係資料
球渓関係のその他の資料のリンク集---

イヴェント
人吉で行ったイヴェントの紹介
レクチャーコンサート「犬童球渓没後80年歌でつながる心と世界 人吉から世界へ」(2023/12/9)

研究会より
※本ホームページは、科研費「犬童球渓の音楽アーカイブズの構築」(基盤研究C、研究代表者:森みゆき、2021~2024年度)、「明治・大正期における『作歌』の音楽教育における歴史的意義」(基盤研究C、研究代表者:国府華子、2023~2025年度)に基づく研究活動に基づく研究活動の一環として行われました。
※引用・転載等をされる場合には、必ず当サイトに典拠した旨を明示してください。


お世話になった図書館他
資料調査等で以下の図書館にお世話になりました。
愛媛県立図書館、大阪音楽大学図書館、神奈川県立図書館、教科書研究センター教科書図書館、
熊本県立図書館、国立音楽大学附属図書館、国際日本文化研究センター、国立教育政策研究所教育図書館、
国立国会図書館、国立情報学研究所、清香会(熊本県立第一高等学校同窓会)、東京藝術大学附属図書館、
東京文化会館資料室、遠山一行記念日本近代音楽館、新潟市歴史文化課、人吉市図書館、広島大学図書館、
民音音楽博物館音楽ライブラリー、わらべ館他。50音順に記載しております。


(P)研究会 2024/07/20